御祭神・御由緒

御祭神

 一、天之御中主神 あめのみなかぬしのかみ

日本神話の一番初めに登場する神様です。
「妙見(みょうけん)さま」とも呼ばれ、北の天空で軸をなす北極星や北斗七星がその象徴として描かれます。
世の繁栄にお力を示され、勝負運や眼病平癒の他、物事の善悪を見分けるといった御利益があります。
北極星が神様の象徴である事、また獅子の姿に見えるこの獅子山( 人見山) が、海上では方向を知る格好の目印 (当山(あてやま))から、海上安全の守護神としても漁師の方々から尊ばれてきました。

二、高御産巣日神 たかみむすびのかみ

三、神産巣日神 かみむすびのかみ

この二柱の神は「産巣日(むすび)」、つまり「むすぶ」働きを持ち、様々なものに魂を吹き込み、育て、命を生成する神様です。
衰えようとする魂を奮い立たせる強い力を持つとも信仰され、農耕や産業など、殖産興業にも御利益があります。

この三柱の神々は「造化三神(ぞうかさんしん)」とも称えられ、高天原に最初に現れた崇高な神々であり、常に物事の中枢にあり、万物生成を司ります。

御由緒

人見神社は小糸川の河口、東京湾をのぞむ獅子山(人見山)の頂に鎮まり、古来より二総六妙見(上総の人見神社・久留里神社・横田神社、下総の千葉神社・印西妙見宮・飯高妙見宮)の一社として人々の篤い崇敬を受けてきました。

古く、日本武尊が相模から房総へむかう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘姫命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたといいます。無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったといわれています。

当社は奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国より勧請されました(別当・青蓮寺の「妙見縁起」)。あるいは昔、近郷の大堀の地にわずか二戸しかなかった頃、うち太右衛門が草刈をしていて妙見尊像を見つけ、もう一人の市右衛門と相談して獅子山に祀ったという「妙見隠し」の伝承も残されています。

また、天慶三年(940)、平忠常が上総介として赴任した折に、武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請しその中の代表的な一社が当神社です。忠常の祖父、平良文(千葉氏の祖)は高望王の子で、東国へ下って妙見菩薩を祀るなど、代々、妙見信仰の念が篤かったのです。

源頼朝も治承四年(1180)、相模石橋山の合戦に敗れ、再起を期して内房の礒根伝いを舟で進軍の折、小糸川河口に着岸し、当社に武運長久の祈願文を捧げたと伝えられています。天正19年(1591)には徳川家康より良田五石の朱印の寄贈があり、元禄4年(1691)には当地方の領主、小笠原彦太夫より大刀の献納がありました。小笠原氏は以来、例祭に奉幣参拝を欠かしませんでした。そして寛政9年(1797)、小笠原兵庫と氏子らが浄財をもって春日造の社殿を造営しました。

明治に入ると神仏分離の国策を受けて人見神社と称し郷社に列せられ、妙見菩薩は観音堂に祀ることになります。高度経済成長期には、ふもとの湾岸に大規模な製鉄所が建設されるなど、周囲の景観は変貌しましたが、人見の杜は近郷近在の人々をこれからも見守り続けることでしょう。